ガッツの徒然日記

不定期で日々思ったことを徒然と書き綴ってます

辛口書評 『「うつ」は病気か甘えか。』を読み解く

おはようございます、またはこんにちは、もしくはこんばんは。ガッツ(@guts_0773))です。

以前のブログで会社を退職させられた際に会社の管理職に

「今はメンタルヘルス不調をカミングアウトしても許されやすい世の中となったために、逆に通常社会で抱える程度のストレスを病と捉えてしまう傾向になっているのも事実である。」

と言われたが

「調べてもそんな言説を謳う書籍等は見つからなかった」

と書きましたが、先日図書館に行ったっ祭に精神医学のコーナーを覗いていたところ、上記言説と同じことを言っている書籍を発見いたしました。

まずはこの点につきまして、以前「そんなことを言ってる書籍等は無い」と言い切ってしまったことについて、訂正しお詫び申し上げます。

しかし、いざその本を読んでみたら色々とツッコミどころ満載でしたので、今日はその書籍を考察していきたいと思います。

うつ病は甘えなのか、病気なのか

今回紹介する本は、著・村松太郎 『「うつ」は病気か甘えか。』(出版・幻冬舎)です。

 

「うつ」は病気か甘えか。 今どきの「うつ」を読み解くミステリ [ 村松太郎 ]

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感想(1件)

同著は医師としても働く慶應大学医学部精神学科准教授、村松太郎氏が普段の診察から現代のうつ病増加の要因の一つとして、現在の日本の精神科医料の問題点を挙げ、それによって本来ならうつ病とされないような人までうつ病と診断されてしまっているという視点から、タイトルにもあるようにうつ病と甘えにつて考察した本である。

率直な感想として、読んでいて納得させられるような部分も確かにあった。前の会社の管理職が言った言葉と同じようなニュアンスの表現も随所に出てきた。現場の医師としての意見として「現実として受け止めても」と思った部分も確かにあった。

ただし

「途中までは」

である。

全体を通して見たときにこの本には、矛盾する部分や信憑性に欠けると思わされる部分がいくつも出てきたのだ。

以下、一つずつ考察していく。

著者の主張にはエビデンスが乏しい部分がある

同著の主張として、うつ病患者が増えている原因の一つとして

・うつの治療はまずは話を聞くことであるが、そこには主観至上主義があり、あくまで患者本人の主観を元に治療がなされていく

ヒポクラテスの誓い(患者の利益を第一とし、患者に加害を加えたり不正を働かない)が現代ではバイアス(思考の偏り)となってしまっていて、上記主観至上主義と相まって患者の要望が第一のような考え方になってしまっている

ということが挙げられている。

結果

「本来ならうつ病とされない人もうつ病と診断され、うつ病患者が増加している」

というのが著者の主張である。

 

うつ病をはじめとした精神疾患患者が増加しているというのは紛れもない事実である。それは私自身も厚労省のHPなどでも確認した。この点についてはしっかりとしたエビデンスがある。

では、著者が主張するような

「本来ならうつ病とされない人もうつ病と診断され、うつ病患者が増加している」

という主張はどいうか。

こちらは残念ながら明確なエビデンスがない。同著の中にも提示されていない。

考えてみれば当たり前である。その病状が、「甘え」であるかどうかの判断の明確な線引きは存在しない。結局は患者の供述と医師の経験や知識を元にした主観で判断される。

著者はその点については前述のヒポクラテスバイアスと主観至上主義を原因として反論している。だがこれは著者の主観による発言にすぎない。

同著執筆のきっかけは病院外来や産業医としての仕事、講演会での質問や公式・非公式にうけた相談から、うつ病でない人があまりにも多いという実態だ。

とも挙げているが、これもまた著者の主観によるものである。

そして、驚くことに著者は同著で自らの発言をひっくり返すような発言をしている。

(なぜそのような発言が出たのかは後述する)

線引きの丸投げ

同著第七章で著者はこのように記している。

病気か甘えかは社会常識で決めてください

「判断基準は社会常識で」となるとどういうことが起こるのか。

当然ながら社会常識とは日々変化していくものである。今日の常識は明日の非常識になりかねない。逆もまた然りだ。

これを同著のタイトル『「うつ」は病気か甘えか。』に当てはめて考えてみれば

『今日までは「甘え」として認められなかったものが、何かをきっかけにして明日からは「うつ病」として認定される。』

なんてことが起きたってなんの不思議もない。

 

「病気か甘えかは社会常識で決めてください」

 

この言葉を出した時点で、同著のタイトル『「うつ」は病気か甘えか。』は完全に崩壊してしまっている。自ら答えを出すことを放棄し、丸投げしてしまっているのだから。

著者の主張の変遷

前項で同著のタイトルの崩壊について指摘したが、全体を通してみても同著は主張の変遷が激しいといえるような構成になっている。

 

ただ第一章から第六章中盤までは至って論理的で筋が通っている。とある会社の甘えの診断基準なる独自の(?)診断を発端に前述した主観至上主義やストレス神話、裁判事例による変化に至るまで「うつは病気か甘えか」について幅広い視点から考察されている。六章中盤まで読んだだけだったら私もこんな書評は書かなかった。

問題は第六章終盤からだ。

第六章終盤で著者は

この章の結びとして真の精神科診断学を紹介する。その患者の『うつ』が「病気」か「甘え」かを区別する方法を示して結ぶ

ことで締めようとしていた。

が、同著はここで終わらなかった。厚生労働省のとある文書を著者が発見したからだ。

それが以下の文章である

メンタルヘルス不調」

精神および行動の障害に分類される精神障害や自殺のみならず、ストレスや強い悩み、不安など、労働者の心身の健康、社会生活および生活の質に影響を与える可能性のある精神的および行動上の問題を幅広く含むものをいう

厚生労働省 「労働者の心の健康保持増進のための指針」より

これについて著者は10ページにわたって考察しているが、一言で言ってしまえば

メンタルヘルス不調とは、人間の心身の不調のすべてを含むもの。病気も甘えも含むもの。」

と著者は結論づけている。

この時点でタイトル『「うつ」は病気か甘えか。』の答えは出てしまった。

この国では「甘え」も「うつ」ということだと著者は結論付けたのだ。

この結論に至った時点で、同著はこのタイトルで出すべき本ではなくなった。もしくは出すべきではなかった。

そしてこの後、前述の「判断基準は社会常識で」につながっていく。

論理の破綻

ここまで同著のタイトル崩壊、主張の変遷について言及してきたが、論理ももはや破綻している。

同著は「現代のうつ病の中には真のうつ病でない「甘え」が数多く含まれている」ということを論じる目的で書かれたものだ。

しかし前述の通り、厚生労働省の「メンタルヘルス不調」によってその目的は見事に潰されてしまった。

その結果著者の主張は「判断基準は社会常識で」となってしまったわけだが、著者は続けてこうも綴っている。

私は診察室に戻り、ヒポクラテスの誓いにそった医療を続けたい。求められれば診断書を書きたい

と。

自ら

ヒポクラテスバイアスと主観至上主義によって本来うつとされないものまで「うつ病」とされている」

と言っておきながら

「求められれば診断書を書きたい」

と、診療方針・持論を180度変えているのだ。

厚生労働省の「メンタルヘルス不調」とヒポクラテスの誓いに従って考えを改めたのであろうか。

かと思えば、最終章でこうも綴っている。

今やうつ病心因性・内因性・器質因性の真のうつ病のみならず、悩みや甘えと言ったグレーゾーンのものまで含んでどんどんその範囲を拡大していっている。本書はそういったグレーゾーンの膨張を防ぎ縮める一因となることを意図したものである

と。

いやいやいや、第六章で自ら

「この国では甘えもうつとされている」

と結論付けていたではないか。

なのになぜ、最終章で「うつ病とされている『甘え』を減らしていきたい」と主張するのか。

第六章で

『「その患者の『うつ』が病気か『甘え』かを区別する方法を示して結ぶ」ことが当初の目的』

としていたではないか。

その「うつ」が「甘え」なのか「うつ病」なのかの区別方法を示すことが同著の目的ではなかったのか

書籍としての評価

ここまでくるともはや同著は書籍の体を為していない。一医師の日々の個人的な思いをそのまま綴っただけに過ぎない。

また「うつ病」という観点から見ても、個人の主観に基づく主張が多く、読む人によっては誤解を与えかねない内容である。

うつ病」を減らすというよりも、私が受けたように権力者に都合のいいように使われ、精神疾患で苦しんでいる人間をかえって追い込むような事態を助長しないか、読んでいて不安になってきた。

以上の点から、同著はやはり出すべきでなかったと結論付けざるを得ない。