ガッツの徒然日記

不定期で日々思ったことを徒然と書き綴ってます

書籍内で「名著」と言われた書籍を読んで感じた違和感

おはようございます、またはこんにちは、もしくはこんばんは。ガッツ(@guts_0773)です。

昨日、以前書評した村松太郎氏の「『うつ』は病気か甘えか。」

 

guts-create.hatenablog.com

 

に「名著」として取り上げられていた「軽症うつ病」について書評をしました。

 

guts-create.hatenablog.com

実際に読んでみると「軽症うつ病」を「伝説の名著」として取り上げていた「『うつ』は病気か甘えか。」に対して、またもツッコミどころが出てきましたので、今日はその点について書いていきたいと思います。

きちんと読んでいない疑い

「軽症うつ病」を読んで思ったのが、「『うつ』は病気か甘えか。」で取り上げられている同著の内容が

都合のいい部分だけを都合のいいように解釈して使っているのではないか

という疑問である。

なぜそう思ったのか。

「『うつ』は病気か甘えか。」の中で「軽症うつ病」について語られている内容の中に次のような記述がある。

この伝説の名著では、ストレスによる落ち込みではなく、理由のない落ち込みこそがうつ病の中心であることが、冒頭から本全体を通じて貫かれている。

「『うつ』は病気か甘えか。」69ページより

確かに「軽症うつ病」の中で語られているものの多くは、内因性(はっきりとした理由がなく突如起こるもの)のうつ病に関するものであり、そこは間違ってはいない。

しかし、第五章のうつ病の治療についての記述に以下のような記述がある。

精神科の診察室というと、何か摩訶不思議なことが行われていると誤解される方もおられるかもしれないので、〜中略〜、内因性うつ病を「素質」プラス「性格」と環境からの「引き金」の合作による心理的疲労現象とみた上での治療です。

「軽症うつ病」148ページより

この記述を見る限り、内因性うつ病は本人の素質と性格に加えて、何らかの環境による引き金が原因となって起こるものと読み取れる。ストレスとは明記されていないが、少なくとも何らかのきっかけがあると記述されている。

また、終わりの方にこういった記述もある。

治療の要否を判断するために、何か簡単で有効的な診断図式がないか。〜中略〜そのためには内因性の軽症うつ病を中心において整理するのが一番よいというのが本書を貫く私の主張でした。それも、メランコリー親和型というかなり特定可能な性格型の持ち主が比較的特徴的なストレスをきっかけとして心理的疲労ににおちいる、という型のうつ病です。

「軽症うつ病」241ページより

軽症うつ病の著者、笠原氏ははっきりと書いているではないか。

「治療の要否を決めるためには内因性の軽症うつ病、それも特定可能な性格型の持ち主が比較的特徴的なストレスをきっかけに心理的疲労におちいるという型のうつ病を中心に整理するのが一番いい」と。

内因性の軽症うつ病=比較的特徴的なストレスをきっかけとしておちいるもの、と書いているではないか。

この時点で冒頭の村松氏の主張には矛盾が発生する。故に都合のいい部分だけを都合よく使っているだけなのでは?という疑問が生まれてきた。

まえがきから既に読めていない

そして最大のツッコミどころは「まえがき」にある。

「軽症うつ病」のまえがきの中で笠原氏は

医療の対象になってしかるべき「ゆううつ」の範囲は意外に広い、というのが私たちの今日の率直な印象です。ここで話題にする軽症うつ病も、一見したところありふれた心の悩みか、ときには人間の成長に役立つ大切な苦悩にさえみえるのですが、その実、確実にまずは医療の対象なのです。

「軽症うつ病」4ページより

と綴っている。

どこかで見た覚えのある記述である。

そう、まさに「『うつ』は病気か甘えか。」で提示された、厚生労働省の「メンタルヘルス不調」の定義とほぼ一緒なのである。

皮肉なことに「うつは病気か甘えか」の問題定義を根本から崩した基準が「うつ病の伝説の名著」と自らが評価した書籍のまえがきに既に書かれていたのである。

もし村松氏が「軽症うつ病」をきちんと読めていたのならば、「『うつ』は病気か甘えか。」はそもそも生まれなかっただろう。

何がいけなかったのか

結局村松氏の何がこのような結果を招いてしまったのか。

私はうつ病

うつ病かそうでないものかの二極化で区分しようとしたこと

が原因としてあると思う。

というのも、「軽症うつ病」の中で笠原氏は当時の学会の診断基準から

『軽症うつ病を精神病ではなく気分障害の中の一つとして捉える』

と綴っている。うつ病を中心にうつ病かそうでないかで見るのではなく、医療の対象となる気分障害の中の一つとしてうつ病を見ると提言している。

うつ病を中心にしてうつ病かそうでないかの二極論で考えればグレーゾーンが生まれ、村松氏のいうように「『うつ』は病気か甘えか。」という問題定義も出てくる。

だが「気分障害の一つとしてのうつ病」として、大きな視点からうつ病をみれば、そのような視点は生まれてこないのではないか。

うつ病でなければ気分障害の中の別の病気、別の障害ではないかを疑えばいいのだから。

物事の全てには答えがあり、YESかNOの二択しかないという所謂「エリート思考」に陥ったことが、村松氏の失敗であったのではないかと私は考える。