ガッツの徒然日記

不定期で日々思ったことを徒然と書き綴ってます

ホリエモンの学校教育に関するYouTube動画に賛同します

皆様こんにちは。ガッツ(@guts_0773)です。

昨日YouTubeを見ていたらホリエモンの学校に対する動画が私の主張に結構近いものがあったので、今日は学校についてちょっと書きます。

*本題に行く前に断っておきますと私はホリエモンこと堀江貴文氏については「起業」だったり「経営」の部分には賛同する部分が多いですが、「政治」の分野については賛同しかねる部分が多いので「賛同」する文章と「反対」する文章が混雑する場合があります。ご了承の上お読みください。

ホリエモン動画とドラゴン桜

話に入る前に当該動画を先ずはご覧ください

兵隊を育てていた時代から変わっていない学校教育をアップデートすべき【将来の夢なんか、今叶えろ。】

この動画と私が愛読しているドラゴン桜2の9巻に出てきた

「学校教育の成り立ち」

が、ほぼ一致していました。

大まかに説明すると

⑴日本の教育の転換期が明治維新の頃にあり、経済成長と富国強兵の実現のために学校が厳しく教育する場となった

⑵さらにその後何度も戦争になったことにより学校を学ぶ場から鍛えて育成する場に変更になった

⑶戦争が終わった後も高度経済成長等一定水準の人材が大量に必要な背景もあり、時代が変わっても相変わらず学校は厳しく鍛える場であり続けた

と言う内容です。

私がいつも言っている

「学校は時代遅れだ」

と言っている理由もここにあります。

そしてホリエモンの動画もドラゴン桜2も結論は一緒です。

様々なことが多様化して目まぐるしく変化し続ける現代にこんな古臭いシステムは要らない

学生時代に感じた違和感

ここからはちょっと私の話です。

私が学校に疑問を持ち始めたのは中学の時でした。

小学校まではテストの点も通知表の成績も特に何も言われなかったのに、中学に上がった途端に

「テストで一点でも良い点とって上にいけ」

「提出物きっちり出して授業でもちゃんと発言して内申点を上げろ」

と親のみならず、周りの友人もそんな雰囲気を出し始めました。

特に三年生になるとそれは顕著になり、とある友人なんかは

内申点上げるためにバンバン挙手をする」

内申点上げるために英検、漢検など受けられる資格試験はバンバン受けて、取る」

内申点を上げるために努力してました。

私にはそれが不思議でなりませんでした。

何故理解できてることを手を挙げて

「私それ理解してます。答えわかります。ちゃんと勉強してますよ。」

ってアピールする必要があるんでしょうか?

わかってるかどうか、理解してるかどうかなんてテストで良い点とって証明すれば良い話じゃないですか?

なのに何故授業で頑張ってるアピールしないと内申点が上がらないんでしょうか?

これじゃあどう考えても

『教師の評価を上げて内申点上げるために勉強している』

ようなもんじゃないですか?

今になって考えても、この中学時代は異常だったと思っています。

と言うのも高校や大学では手を挙げなくても出席番号だったり日付だったりで問答無用で当てられますし、内申点もほぼテストの成績で決まります。

なのに何故か中学はテストの点数と、提出物をきちんと出せたか、積極的に挙手をどれだけしたかなど授業でどれだけ頑張ってるアピールできたかで内申点が決まります。

これって悪い言い方をすればどれだけ教師に媚を打ったかで成績が決まるようなもんですよね?

それって果たして教育の評価システムとして正しいんでしょうか?

答えはブラック企業時代にあった

何故そんな教育が教育としてまかり通っているのか?

その答えが自分なりに出せたのは手取り14万円のブラック製造業時代でした。

ブラック企業時代の上司は普段の会話からして学生時代は絵に描いたような「エリート」だったんだなぁこの人はと思わせるような人だったんですが、気持ち悪いぐらいに学校教育が唯一絶対の正解だと思って仕事をしているような人でした。

上から与えられたことはどんなことでもきっちりやる、普段から1分一秒でも早く作業を終わらせようと努力している人で

「とにかく頑張って、アピールをしなさい」

「結果を出さないと会社に評価されないよ」

なんて中学時代の友人みたいなことを言うのは日常茶飯事、日によっては

「あいつを見てみろ、あんなに努力してるじゃないか。あいつを見習え。」

なんて学校の先生みたいなことを言い始める始末でした。

で、こんな人だったんですが会社からは高評価を受けていて部長職を与えられてました。

ブラック企業時代に

ブラック企業に限らず企業に評価されるのは『社畜』だ。」

と言うことを悟ったと言うのは前にも書きましたが、この時中学の友人とこのエリート上司が重なったことから悟ったのが

「学校ってのは人間を社会に出て組織に属した際に問題なく働ける人間にするための、いわば『人間社畜化機関』なんだ。」

と言うことです。

そうやって考えれば中学で教師に媚売らないと内申点がもらえないって構造も納得が行きました。

つまり会社の言うことはどんなことでも疑問を持たず取り組む、会社の意図することを汲んでそのために努力する・疑問を持たず取り組める人間(=社畜)の養成のためです。

ゆたぼんと高校の友人と一月万冊

私が学校=人間社畜化機関と言うことに気付いてから思い出した人間や最近新たに感心したことがいつかありますので順番に紹介していきます。

①ゆたぼん君の感性と学校

私が学校を「人間社畜化機関」だと気づいた時に思い出したのが不登校YouTuber「ゆたぼん」君です。

当時不登校の小学生がYouTube始めて「死んだらあかん」って連呼してて世間からは

「学校に行け」

「甘ったれるな」

って世間から叩かれまくり、挙句お父さんの評判が良くなかったのもあって

「お父さんの操り人形でかわいそう。不幸な子だ。」

とまで言われたあの「ゆたぼん」君です。

当時彼が不登校の理由の一つとしていた

「宿題やりたくない」

ってのは

「それは単なるわがままやん。」

って思ってましたが、一方で彼の言ったとある一言は非常に印象に残ってます。

それは

クラスのみんながロボットに見えた

と言う一言。

本人がどういう意図で言ったのかはわかりませんが、私の「学校は人間社畜化機関だ」と言う主張からするとこの一言はなかなかに鋭い視点の一言だなあと思いました。

そりゃ人間を個性とかを殺して社畜にしようとしている場所なんだからそう感じる子がいてもおかしくはありません。

こう言う視点で見るとゆたぼん君って実はすごい感性の持ち主なのかもって思えてきました。

②高校の友人の内申点

高校の友人の話なんですが、ある時美術の先生から呼び出されて

「お前はなんでこんな偏った絵ばっかり描くんだ。お前の感性はどうなってるんだ。」

と叱られたそうです。

友人ははっきり言ってしまえばグロテスクな表現を好んでまして、作品にもそういう傾向が顕著に出ていまして、美術の担当の先生からすれば

「こいつの感性は理解しがたい。どっかおかしいんじゃないか?」

となったみたいで、呼び出しの上でお叱りになったみたいです。

(ちなみに彼の美術の内申点は5段階評価で1でした)

で、これに対する友人の反応が

『うるさい。お前が俺の美的センスを理解しとらんだけじゃ。』

と一蹴したそうです。

これ以降も彼は相変わらず自分の好きな表現を描き続けましたが、この一件以降美術の成績は1から3に上がりました。

ここからわかることは内申点ってのは成績をつける側である教師のさじ加減一つで決まってしまうと言うことです。

もっと言ってしまえば自分の理想の生徒像に近い子には高い内申点が付くし、そうでない子は何をやっても内申点は上がらないと言う現実です。

逆をついて言うなら生徒が内申点を上げようと思ったら、教師の好みを探ってそれに近づくように行動すれば良いわけです。

社畜が会社のために自分を殺して馬車馬の如く働くように・・・。

③一月万冊から

先日いつも見ている一月万冊さんで取り上げていた時事ネタの中で

「日本人は忖度する文化を色んな機会で植え付けられている。」

って内容がありました。

内容的には安倍政権が何故こんなにも長く続いたのかって内容をフリージャーナリストの烏賀陽さんと話していて、結論としては

「官僚は愚かマスコミも、そして残念ながら我々国民もみんな忖度したからだ。」

とのことでした。そしてその原因が先にあげた

「日本人は忖度する文化を色んな機会で植え付けられている。」

と言うものでした。

これを聞いて思ったのが先ほどから言っている

内申点を上げる、高い内申点をとる方法」

がまさに忖度だなぁと言うことです。

教師の意図や好みを汲み取り、それに合う答えを提供するなんて忖度以外の何物でもありません。そりゃそんな訓練(?)を幼い頃からやってりゃ自分でも気づかないうちに忖度しててもなんの疑問もありません。

まさに国家のための奴隷です。

学校制度を変えていこう

話を最初に戻すとホリエモンは動画の最後にそんな現状を打破すべく作った、自身の主催するZERO高等学院について紹介していましたが、ホリエモンに関わらずそう言った既存の学校制度に疑問を感じ独自の学校を作る動きは広まりつつあるようです。

例えばニコニコ動画でお馴染みのドワンゴはネットと通信制高校の制度を利用した新しい学校である『N高等学校』というのを立ち上げて運営しています。

前出の一月万冊では今後現代社会で生きていくために海外メディアから情報を仕入れたり、個人で稼ぐことを早いうちから学ぶことの必要性等様々なことを動画内で盛んに提言しています。

何故こんな風潮が起こっているのか?

散々言っていますが学校が現代社会において役に立ってないからです。

明治維新の頃からなんら変わらないシステムのまんまなんですからそりゃ当たり前です。明治維新からもう150年以上経ってるんですから、良い加減学校も時代に合わせて変わっていくべきです。

まず真っ先にやるべきことは、教師のさじ加減一つで成績が決まり、忖度体質を植え付けるような

内申点制度をいますぐ廃止すること

です。

そして教師が言ったことをひたすら覚えるだけの『上位下達』の『一方通行』の教育を辞めて、多様性を認め様々な意見があって良いことを前提に色んな意見を出し合う『討論(ディスカッション)』の時間を増やして

『考える力』を身につけさせること

です。

個人でも必要なことは取り入れていこう

ですが、学校が変わっていくには時間がかかります。古い頭の役人どもと戦わなければいけませんし、制度が変わっても現場に定着するまでには時間もかかります。学校制度を変えていくように働きかけて行くことも必要ですがそれまでに私たちができることは、役人任せ・学校任せにはせず、小学生くらいなら必要に応じて親が独自に教えてあげるとか、中高校生くらいの子だったらネットで普段見ない視点の記事や動画を見るなど、最新の情報や新たな物の見方を身につけるだけでも違ってきます。

学校に拘らず必要なことは自身の手で取り入れて行くことが今必要とされていることだと私は思います。

 

長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

なお、受け取っていない・・・・・・・。

ホリエモンからも、ゆたぼんからも、一月万冊からも、一円も・・・・・・・。